大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和55年(う)12号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人俵正市名義の控訴趣意書、同浜口雄名義の控訴趣意書(二通)及び同鎌形寛之、同小川正連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官鈴木義男名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

第一弁護人浜口雄の控訴趣意(同弁護人名義の控訴趣意書〈追加〉を含む。)中のいわゆる公訴権濫用を主張する論旨について

所論は要するに、被告人に対する本件起訴は、それ自体ないし証拠上明らかに罪とならない事実を公訴事実として掲げたものであるか、あるいは法の下の平等ないし正義の観念に著しく反し、起訴裁量権を逸脱してされたものであるから、原裁判所においては、すべからく公訴権を濫用した不法な公訴として本件公訴を棄却すべきであつたにもかかわらず、本件公訴を適法として実体(有罪)判決をした点において、原判決には不法に公訴を受理した違法がある、というのである。

しかしながら、本件公訴事実は、本判決書末尾記載のとおりであり、これがそれ自体明らかに罪とならない事実とはいえないばかりか、一応右公訴事実に沿う証拠も存し、また、本件公訴事実自体に照らし所論指摘の諸事情を念頭に置いて考えても、本件が公訴の提起の無効を結果するような検察官の訴追裁量権の逸脱の場合にあたるものとは到底認められない。そうとすれば、本件起訴に所論の指摘するような違法な点は存しないから、従前の原審弁護人の公訴権濫用の主張を排斥して本件公訴に対し実体判決をした原裁判所の措置はもとより正当なものとして是認すべきものである。本論旨は理由がない。

第二弁護人俵正市、同鎌形寛之、同小川正、同浜口雄の各控訴趣意中の事実誤認ないし法令の解釈適用の誤りを主張する論旨について

右弁護人らの各所論は多岐にわたるが、その結論は、被告人は、原判示ハイキングに参加した児童らを保護監督する直接かつ最高の責任者たる地位になく、原判決の認定説示するような注意義務を負う者でもないから、原判示久保友行の死亡についてなんら過失責任を問われるべきいわれはないのに、原判示事実を認定し、原判示のごとき過度の注意義務を前提として被告人を過失致死罪に問擬した原判決には、被告人の地位・役割、被告人が川遊びを許可した状況、前記久保が死亡するに至つた経緯、その死因、さらには、原判示注意義務と右死亡の結果との因果関係等について事実の誤認があるのみならず、過失に関する刑法二一〇条の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。

よつて、記録及び原判決書を調査して検討するに、本件公訴事実は、本判決書末尾記載のとおりであり、これに対し原判決が認定説示した事実関係及び法律判断は、おおむね次のとおりである。

すなわち、被告人は、四ツ葉子ども会指導者として、昭和五一年八月一日、同子ども会が主催した三重県安芸郡芸濃町雲林院市場字玉ケ平地内の安濃川にかかる勢野橋の上流約三〇〇メートル付近の溪谷へのハイキングに際し、参加児童らを保護監督する直接かつ最高の責任者たる地位にあつたものであるが、右溪谷で子ども会児童三〇名に対し川遊びをさせるにあたつては、右溪谷の危険性及び年少児童の未熟さないし行動態様等に徴し、被告人において、(1)予め川遊びをする場所の状況を精査して安全な場所を選定したうえ、(2)その範囲及び危険箇所を児童らに周知徹底させ、かつ、(3)児童が安全水域から逸脱しないように、同行している前記子ども会育成会会員らに適切な監視を依頼するとともに、(4)自らも十分な監視を尽くすなどして児童の安全を図り、もつて危険の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、被告人が川遊びを許可しようとした範囲が危険性も少なく比較的狭い水域に限られていたことから、(1)'その周辺の危険箇所には格別意を払わず、しかも、(2)'当時児童らが、すでに班別行動の態勢を崩し、喧噪な状況の下に付近の河原で三々五々散らばつて遊んでいて、児童らを班別ないし個別に把握することが困難であつたのに、単に児童らに対し、川遊びを許可する場所の上流及び下流の限度となる岩を指示したのみで、川遊びの範囲及び危険箇所を児童らに周知徹底させず、かつ、(3)'当時被告人以外の引率の育成会会員らは児童の監視を尽くせる状況ではなかつたのに、川遊びを許可するにあたつて予め育成会会員らに対し児童らの監視について注意を喚起し、児童が危険な場所へ進出しないよう適切な監視を依頼するなどの方策もとらず、漫然児童らに川遊びを許可するとともに、(4)'自らも十分な監視を尽くさなかつた過失により、子ども会会員の久保友行(当時九年)をして被告人が許可した川遊びの範囲外の下流域の対岸に進出させ、前同日午後一時過ぎころ、川遊びの範囲として許可された水域の下流約一五メートル付近の深みにおいて同人が岩場から水中に転落したことに全く気付かず、そのころ同所において同人を溺死するに至らしめた、というのである。

そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して、原判示久保友行の死亡事故に対する被告人の過失責任を肯定した原判決の事実認定及び法律判断の当否について、以下逐次検討を加える。

一まず、原判決が認定した事実のうち、四ツ葉子ども会及び同子ども会育成会(以下、単にそれぞれ「子ども会」及び「育成会」という。)について、その結成の経緯、その目的及び組織等並びに昭和五一年八月一日に実施された子ども会主催の原判示ハイキング(以下、単に「本件ハイキング」という。)の目的地である三重県安芸郡芸濃町雲林院市場字玉ヶ平地内の勢野橋上流約三〇〇メートルないし三五〇メートル付近の安濃川の溪谷(以下、単に「本件溪谷」という。)の情況等は、ほぼ原判決の認定するとおりであり、

被告人の子ども会及び育成会における地位と役割並びに本件ハイキングの立案計画及び準備等と被告人の立場に関する原判決の認定についても、後記誤認と認められる数点を除き、原判決の認定を肯認することができ、さらに、

前同日午後一時過ぎころ、本件ハイキングに参加した子ども会会員の久保友行(以下、単に「久保」という。)が本件溪谷内の安濃川の深みで水死したことも、その死因の点を除き、証拠上明らかである。

なお、右久保の死因に関して、原審において取り調べられた証拠に、当審における事実取調べの結果をも加味して検討すると、右久保の死因が原判決認定のような溺死、すなわち、溺水の気道内浸入による窒息死であると断定するには、なお合理的疑いをさしはさむ余地があるところであるが、本件においては同人が原判示安濃川の深みにおいて水没して死亡する直前に、同人に溺れからの逃避行動、すなわち、水面から顔を出ししばらく両手で水面をたたいていた事実が認められるばかりでなく、同人の肺臓内にいくらかの川水が入つていることも明らかであつて、同人の直接的死因が溺死でないからといつて所論のように直ちに同人の死亡について被告人の過失責任が否定されるものとは考えられず、本件において被告人に原判示のような、いくつかの注意義務及びこの懈怠があるということができるであろうかということをさらに考察しなければならない。

二そこで、以上のような原判決の認定事実及びこれに付加した当審の認定事実に加えて、さらに考察を進めると、まず、前記久保は、当時安東小学校三年に在籍していた満九歳(昭和四二年五月一〇日生)の心身ともに健康な児童であつた(なお、身長は約1.2メートル)と認められ、また、同人が水死した原判示の現場付近は、原判決が前記のように認定したとおりに相違ないが、ちなみに若干これを補足すると、司法警察員作成の昭和五一年八月一一日及び同月三一日付各実況見分調書並びに原裁判所の各検証調書などによれば、その概況はおおむね本判決書末尾に添付した図面(同図面は、原裁判所の昭和五三年八月三一日付検証調書別紙の第二現場見取図を基礎として、関係地点のみを摘記して作成したものである。以下同じ。)に記載したとおりであり(なお、同検証調書は同年八月三日施行の検証結果を記載したものであるから、昭和五一年八月一日当時とは、河原の高低、付近の川幅等については、若干差異がある。)、その情況を観察すると、本件溪谷の両岸はほとんど樹木に覆われ、左岸は山際の岩石等が溪流に迫つていて河原はなく、右岸は安濃川沿いに走る県道大山田芸濃線に至る間に、ところどころ河原を形成しており、その間を安濃川が蛇行しているが、以上の溪流中にもまた河原にも大小様々の岩石が多数散在している。本件溪谷をその上流から下流へとみていくと、その間、右岸の二箇所にやや大きな河原があり、その一は別添図面の位置にあつて、東西約三〇メートル、南北約二〇メートルの広さがあり、その前面の川幅は約五ないし六メートル、水深は大人の膝位で、流れも緩やかであり、その河原の東端付近から下流へ約二二メートルの間は、急に川幅が狭く、流れもかなり早くなつているが、再び川幅が広くなつたところに、東西約三〇メートル、南北約一〇メートルの広さの河原があり(別添図面)、その前面の川幅は約三ないし四メートル、水深は約二〇ないし三〇センチメートルで比較的緩やかな流れに戻つている。右河原は、しばらく下流に向かつて続いているが、右河原の尽きた付近より下流は、「一部川幅が約一〇メートルに達するところがあるが、その右岸から左岸に向けて約三ないし四メートル位の間は水深三〇ないし五〇センチメートルで、それ以上左岸に近づくと水深は約1.5メートルないし2メートルとなるもののその流れは極めて緩やかで、水は淀んでおり、それが下流方向へ約一〇メートルほど続くが、その先は再び浅瀬となり、右岸から左岸へ児童でも容易に渡ることができる。

本件溪谷と称する川及びその付近は、以上のような情況である。したがつて、右情況は、一見してその危険性が極めて高い溪谷とは認められない。

そうすると、問題は、このような情況にある溪谷に、心身とも健康な小学校三年生の児童を引率し、同所で川遊び(なお、本件ハイキングにおいて、「川遊び」と称したのは、ただ溪流に下肢を浸す程度のものをいい、水泳を含まないものであつたことは記録上明らかである。以下、同意義に用いる。)をさせる場合、だれにどの程度の注意義務を認めるのが社会通念上相当であるかということに帰着する。これに関し、所論が力説するような子ども会活動におけるボランティアの社会的意義をいかに高く評価しても、引率者がボランティアであるとの一事をもつて直ちにすべての注意義務を免れるものでないことは言うまでもなく、また他方、育成会役員であるとか指導者であるとかいう形式上の名称・役柄・資格等を有する引率者であるからというだけの理由で、その実体のいかんを問わずに、参加児童の生命・身体に対する危険の発生を未然に防止すべき一般的な刑事上の注意義務があるとすべきものでもなく、要は、前記溪谷の情況、本件ハイキング当時あるいはその前後の状況、経過等の具体的状況に応じた引率者の地位・役割を実質的に把握し、考察して、該引率者の注意義務の有無及び内容を決しなければならない。

三上述の観点に立つて被告人の過失責任の有無を検討するには、その前提として、本件ハイキングに際しての被告人の地位・役割について考察を進めなければならない。

1原判決は、前記摘録のごとく、被告人が本件ハイキングに際し参加児童らを保護監督する直接かつ最高の責任者たる地位にあつた旨認定判示している。そして、原判決が右のように判断した根拠となる事情を原判決書の判文に則して推測すると、主として、それは、(1)子ども会が結成された昭和五〇年六月以降、被告人は、育成会から委嘱を受けて指導者の地位に就き、爾来子ども会の運営ないし活動につき指導助言を行う一方、指導者としての立場から育成会(総会及び役員会)の運営にも積極的に関与して事実上同会役員をも主導してきたこと、(2)被告人は、本件ハイキングの実施にあたつても子ども会を指導し育成会役員らを主導し、目的地の選定を一任された一人として右役員らとともにその選定のため本件溪谷を下見するなど、その立案計画に当初から積極的に参画し、本件ハイキング当日の行事予定ないし実施細目を立案担当するとともに、当日現場において参加児童らに自ら各種の注意ないし指示を与えるなどしたこと、(3)右当日被告人自らの判断で当初の予定と異なる場所で川遊びを許可したこと、などにあると推考される。

2なるほど、関係証拠に徴すると、子ども会発足以来被告人が指導者としての立場で、子ども会及び育成会のために熱心かつ活発に活動してきたことは事実であり、また、育成会会長上田昇、同会書記薦田鍈代とともに本件溪谷を踏査下検分するなどして本件ハイキングの目的地の選定にも関与し、さらに、目的地決定の後は、「ハイキング班構成と役割り」(作成日付不明)、「ハイキング参加依頼について」(昭和五一年七月二五日付四葉子ども会指導者田村マキ子名義)及び「四葉子ども会ハイキング」(同年同月二九日付子ども会・育成会名義)と題する各文書を作成して関係者に交付したうえ、本件ハイキング当日に本件溪谷に到着して人員点呼後、参加児童らに対し一般的注意を与えたり、昼食後右児童らに対し川遊びの許可を伝えたりした事実も十分肯認することができる。

しかしながら、被告人は、原判決も認定するように、育成会総会の承認のもとに同会役員らから委嘱されて指導者という地位に就いたものであるから、組織上、その地位・権限・職責は、同会役員より上位ではあり得ず、現実には被告人の具申する意見等がその適切さのゆえにそのまま採用されたことが多く、そのため同会役員らが被告人に主導されているような外観を呈していたとしても、その実質を透察すれば、被告人の意見等を採納するかどうかは、当該事項の重大性等に従い、育成会総会あるいは同会役員会等において決すべきところであり、現に証拠上明らかにそのようにして決せられていた事項も見受けられる。したがつて、本件ハイキングの目的地の選定についても、原判決の認定するように、育成会総会でそれが被告人及び育成会役員に一任されたとみるのは正確ではなく、むしろ右目的地の選定が同会役員会に一任されたのに伴い、被告人において子ども会指導者として右目的地選定に関して右役員会に適切な指導助言をする職責を負つたものと認めるのが相当である。実際、本件ハイキングの目的地は、原判決も正当に認定するように、同年六月一一日に開かれた同会役員会において本件溪谷と決定されたのであり、また、前記各文書の作成交付についても、これを被告人の指導責任者的立場を徴表するものとして過度に重視することには疑問があり、被告人において、本件ハイキングの実施細目の立案を育成会役員らから指示・委託されたため、予め育成会総会あるいは育成会役員会で討議のうえ決定された本件ハイキング実施の基本方針に則り、前記各文書を作成交付したものと認める余地があり、ことに、前記各文書の作成に先立ち、「ハイキングにいきましよう」(同年六月一四日付子ども会・育成会連絡NO1)、「ハイキングについて」(同年七月一八日付子ども会連絡NO2)及び「ハイキング」(同年七月二〇日付育成会連絡NO2)と題する各文書並びに上記「ハイキングについて」と題する文書の付属文書と認められる「ハイキングにおける班構成」と題する書面が育成会役員間において作成されていたことを軽視するわけにはいかない。薦田鍈代は、前記同年六月一四日付「ハイキングにいきましよう」と題する文書を自ら作成した点は自認するものの、参加児童の班別構成等に関与した点については終始強く否定するけれども、右の点を含む本件ハイキングの実施に関する諸般の事項について、同人及び前記上田昇が深く関与していることは、上田昇の検察官に対する昭和五二年九月八日付供述調書等関係証拠によつて明らかである。

これに伴い、さらに、被告人が独断で原判示の場所における川遊びを許可したか否かが問題になる。

関係証拠によると、本件ハイキング中、被告人が川遊びの範囲として指定した場所の西端は、当初の計画で川遊び予定地とされていた場所である飯盒炊飯を行つた河原の東方約四四メートルの地点であるが(別添図面参照)、両地点間には、なんら顕著な自然的境界もなく、前記上田、薦田及び被告人が前記のように本件ハイキングの目的地の選定に際し踏査下検分した時にも、右両地点を含む本件溪谷全体を調査の対象としていることなどに徴して、右一連の河原と溪流とが、川遊びを含む本件ハイキングの目的地と認められ、しかも、現実に川遊びを許可する範囲として指定した溪流に沿う河原を、当初は炎暑を避けるための退避場所と予定していたことなども考え併せると、昼食後の行事とされていた川遊びを飯盒炊飯をした河原の前の溪流以外では行わないとまで明確に決定されていたかどうかについては疑問をさしはさまざるを得ない。そのうえ、本件ハイキング当日被告人が後記認定のように、参加児童らに川遊びの許可を告げた際、前記上田はもちろん、同薦田も被告人のごく近くにいて、その際の被告人の一挙一動を見守りながら、これに対しなんら異議を唱えなかつたことは、右上田及び薦田の両名とも捜査段階以来ほぼ認めているところであり、そうすると、被告人が捜査官から取り調べを受けて以来一貫して主張する、「会長さん(上田のこと)に対しては、もういいですねという形で川原(原判決のいう昼食をとつた木陰のある河原、別添図面参照)の前で川遊びを許可することについて同意を求めました。」との申述も、総じて被告人に本件事故の全責任を転嫁しようとする態度が看取される前記上田の否認にもかかわらず、当時の状況に照らして、一概に弁解に過ぎないとして一蹴し去るわけにはいかず、当時、右上田においてはもちろん、前記薦田においてさえ、被告人の参加児童らに対する川遊びの許可を全面的に支持、是認していたことが窺われる。

その他、本件全証拠を仔細に検討しても、被告人が前記上田をはじめ育成会役員等の権限・職責を超え、むしろこれらの者を主導する立場にあつたと断定するに足りる具体的事実はこれを見いだすことができない。

3以上認定の事情に徴すると、育成会総会、同役員会又は役員らから直接間接に指示あるいは委託を受けたがために、右役員らの下にあつて同人らの意を体し、あれこれ現実に行動した関係上、特に外見上その動きが目立つ被告人の言動のみをことさら重視するのは相当でなく、本件ハイキングの計画からその実施に至る全体の経緯のなかでの各人の地位・役割を総合考察するとき、前記上田及び薦田の両名は被告人以上に実質的に重要な立場にあつたことが窺知されるのであつて、これに対し原判決のように右上田及び薦田が被告人の補佐役に過ぎず、被告人こそ本件ハイキングに際し参加児童らを保護監督する直接かつ最高の総括的引率責任者であつたと断ずるのは、右上田及び薦田の両名の地位・役割を過小評価し、その反面被告人のそれを過大視するものであつて、原判決の右認定判断には到底左袒するわけにいかない。原判決の右認定には事実の誤認があるものといわざるを得ない。

四前叙のごとく、被告人は本件ハイキングに参加した児童らを保護監督する最高の総括的引率責任者とは認め難いけれども、被告人は、前記上田及び薦田に次ぐ責任のある引率者であることは明らかであるから、以上両名以外の引率者とは異なり、被告人自らもそれ相応の注意義務を負うことは言うをまたない。

そこで、前記のような被告人の地位・役割に照らして被告人のような立場での引率者の注意義務について考察する。

1まず、前認定のごとき指示あるいは委託があつた以上、被告人に(1)予め川遊びをする場所の状況を精査して安全な場所を選定したうえ、(2)選定された川遊びの場所の範囲及び付近の危険箇所を児童らに周知徹底させる義務のあることは明らかである。

2しかしながら、一方では前記久保の年齢・学年・心身の状況等を考慮し、他方、本件溪谷の危険性の程度、すなわち、本件溪谷において、原判決のとおり指定された川遊びの範囲から逸脱すれば直ちに該児童の生命身体に危険が予測されるというほど高度の危険性が認められないこと、に徴すると、本件では、被告人のような立場にある引率者に、原判示のごとく、児童が安全水域から逸脱しないように、同行している育成会会員らに適切な監視を依頼するとともに、自らも十分にかかる監視を尽くすべき義務があるとまで解することはできない。

3もつとも、被告人自身についても、以下に述べる内容の監視義務は肯認すべきである。すなわち、溪流における川遊びについては、本件程度の溪流における場合といえども、転落、転倒等の結果、児童の生命身体に対する危険の発生する蓋然性は常に存在するから、引率者としては右危険を予見して、児童を監視すべきであり、これを本件についてみるに、前記立場にある被告人としては、自己の指定した川遊びの範囲内にいる児童に対してはもちろん、その範囲外の児童も、あり得ることを予想し、これに対しても視認し得る限り、その動静に常に注意を払つて事故の発生を未然に防止すべき義務があると解するのが相当である。

五そこで、本判決前記四の項において、前認定の被告人のような立場にある者が負うべきものと解した注意義務(前同項1の(1)及び(2)並びに同3)について、被告人に注意義務違反の事実を認めることができるかについて検討する。

1原判決は、さきに摘録したように前記四の項1の(1)、(2)に記載した点に関し、被告人の注意義務違反の事実を肯認する。

問題は、被告人が川遊びを許可した範囲の周辺の危険箇所に格別意を払わなかつたと認められるか、また、被告人が川遊びの範囲及び危険箇所を前記久保を含む参加児童らに周知徹底させなかつたと認められるか、にある。

そこで、記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して右問題点を検討する。

原判決も認定するように、被告人が参加児童らに川遊びを許可した溪流は、原判決のいう木陰のある河原の前の東西約一六メートルの間であつて(別添図面参照)、本件ハイキングに先立ち、前記上田、同薦田及び被告人が本件溪谷を踏査して下検分した際にも、右河原及び溪流を含めて右河原等よりさらに下流に至るまで調査しており、そのため、被告人は、原判決も認定しているように、前記久保が水死した渕を含む溪流の情況に気付いていたものであること、被告人は、それゆえ本件ハイキング当日に川遊びを許可するにあたつて右渕付近を避け、右渕から約一五メートル上流の地点を参加児童らの川遊びの範囲の東端と定めたものと認められ(別添図面参照)、しかして、被告人の指定した川遊びの範囲内に関する限りは、溪流の情況は、当裁判所がさきに詳細に認定したとおりであり、また原判決も判示しているように、「川幅が約三ないし四メートル、水深もせいぜい二〇ないし三〇センチメートル位で危険も少ない」のであり、その下流に至ると川幅が約一〇メートル位になるとはいつても、右岸の水深は、川の中央に向かつて約三ないし四メートルまでの間は約三〇ないし五〇センチメートル位の水深であつて、被告人の指示した川遊びの範囲は、その下流の情況を考慮にいれても、なおそれ自体川遊びの場所として不適当であつたと認められるほど危険性が高度の箇所であつたとは認め難い。そうすると、被告人が川遊びを許可した水域の周辺の危険箇所に格別意を払わなかつたと断ずるには躊躇せざるを得ない。

次に、被告人が参加児童らに対し川遊びを許可した際の状況についてみるに、関係証拠、ことに、被告人の捜査官に対する各供述調書をはじめ、原当審各公判廷における供述、さらに、これに符合する川辺幹郎、川辺豊及び木平勝也の検察官に対する各供述調書(但し、川辺幹郎、木平勝也の各調査については、いずれも同意部分)によると、被告人は、本件ハイキング当日午後一時ころ、木陰のある河原の水際近くに立ち、河原で遊んでいる児童らに対し、呼びかけるようにして注目させ、大声で、川に入つていいが泳いではいけない、岩は苔が生えていて滑るから気を付けなさいと注意しながら、入つていい上下約一六メートルの川の範囲を、上流と下流の目印となる岩を指差しながら指示したこと(別添図面参照)を認めることができる。そうとすると、たしかに当時児童らは河原に散らばつて三々五々思い思いに遊んでいて、相当喧噪な状況にあつたことは推測に難くないが、川遊びの許可を告知した際には、多数の児童が被告人の付近にいて、被告人の右注意と指示とを聞いており、右児童らにこれが伝達・了知されていたことは、その後の多数の児童の行動等に徴して明らかであり、また、前記久保に関しても、原判決は、「久保友行は、被告人による川遊びの許可が出された際、門脇真(当時九年)とともに右許可範囲の下限付近にいた」旨認定しているところであるから、被告人と右久保との間隔、前記被告人の注意及び指示の方法、さらには、門脇真の捜査官に対する各供述調書及び証人門脇真に対する当裁判所の尋問調書等に徴し右久保においても被告人の川遊びの許可自体は聞いたと推認されること等の諸事情に照らすと、特段の事情が認められない本件においては、被告人の前記注意及び指示もまた右久保に伝達されたものと認めるのが相当であるから、同人においてこれを聞いていなかつた可能性が極めて強いとした原判決の認定判断はにわかに肯認し難い。そうとすると、被告人が川遊びの範囲及び危険箇所を右久保を含む参加児童らに周知徹底させなかつたと断ずるわけにはいかない。

2なお、原判決は、本判決が前記四の項3で考察した趣旨の監視義務違反には直接言及していないが、当時の被告人の行動をおよそ以下のように認定判示している。すなわち、被告人は、前同日午後一時ころ、前記のごとく児童らに川遊びを許可した後、木陰のある河原の水際近くで五分間位佇立して児童らを監視し、さらにその後、やや木陰の方に退いて腰を下ろし、前記久保が原判示のようにして原判示深みから引き上げられるまでの間、目前の状況を監視していた旨判示する(別添図面参照)。そして、右認定は関係証拠に徴して十分に肯認できる。しかるに、被告人の右監視にもかかわらず、現実には、原判示川遊びの範囲の溪流及び河原を中心に広がつて遊ぶ三〇名もの多数の児童のうち、前記久保の行動の把握が被告人において不十分であつて、これが原判示深みにおける同人の死亡の結果につながつたのである。これを前記四の項3に説示した注意義務に関し、本件結果発生の面からみれば、被告人のなした監視が完璧ではなかつたといえるけれども、前記に認定した本件事故発生に至るまでの被告人の本件現場における行動あるいは参加児童らの川遊びの状況、ひいて、前認定の本件溪谷の情況から推認される危険発生についての蓋然性及び前記久保の水没した位置などの面から考察すると、本件において、被告人に前記四の項3記載の注意義務の違反があつたとまで断定するのはいささか苛酷に過ぎると思料される。したがつて、被告人には右注意義務違反の事実を認めることもできない。

六もつとも、以上の各認定について、原審及び当審において取り調べた各証拠中には、右認定に抵触し、本件公訴事実ないし原判決の認定事実に沿う部分も存することは、これまでにも若干触れ、またその採用し難いゆえんもその際明らかにしてきたが、それ以外の関係でも、右趣旨の証拠は、いずれも他の措信し得る関係証拠と対比して採用の限りでない。

七そうすると、本件において、被告人に対し、前記に摘録した事実等を認定し、該事実につき被告人を過失致死罪に問擬した原判決には、前説示の認定及び意味において判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認及び法令解釈適用の誤りがあるものというべきであるから、原判決は破棄を免れない。本論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三八〇条に則り原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い当裁判所においてさらに判決する。

被告人に対する本件公訴事実は、本判決書末尾記載のとおりであるが、上来説示のとおり原審及び当審において取り調べたすべての証拠を検討してみても、右公訴事実について犯罪の証明が十分ではないので、刑事訴訟法三三六条後段に則り被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。

以上の理由により、主文のとおり判決する。

(杉田寛 土川孝二 虎井寧夫)

公訴事実

被告人は保母の資格を有し、津市河辺町居住の安東小学校在校児童の保護者で構成されている四ツ葉子ども会育成会から委嘱を受けて、同会児童の集まりである四ツ葉子ども会の指導者となつていたものであるが、昭和五一年八月一日三重県安芸郡芸濃町雲林院市場字玉ケ平地内の勢野橋上流約三〇〇メートルの安濃川に右子ども会所属の小学校児童三〇名を引率して前記育成会会員一〇名と共にハイキングに赴き、飯盒炊飯後、同日午後一時ころから同所において児童に川遊びをさせるに際し右児童等は思慮経験に乏しい年少者であるうえ、同所の下流域には水深約1.5メートルの深みが接続していて危険であることを知つていたのであるから、予め川内の状況を精査して安全な場所を選定し危険箇所を児童に周知徹底させ、かつ、児童が安全水域からはみ出さないように同行している育成会会員に適切な監視を依頼するとともに自らも十分な監視を尽くすなどして児童の安全を図り危険の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、単に児童に対し川遊びを許可する場所の上流及び下流の限度となる岩を指示したのみでその旨を周知徹底させず、かつ、他の育成会会員が食事後の後片付けに追われているのに任せたまま同会員に対し児童の監視を依頼することもせず、漫然児童に川遊びを許可し、かつ、児童の監視を十分にしなかつた過失により、同日午後一時過ぎころ、川遊びを許可した水域の下流約一五メートル付近の深みにおいて、久保友行(当時九年)が岩から滑り落ちたのに全く気付かず、そのころ同所において同人を溺死するに至らしめたものである。(罪名及び罰条、過失致死、刑法第二一〇条)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例